つれづれ

自分のことを人に決めてもらおうとしていませんか?

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どちらにしたらいいのか、迷うことは誰にでもあります。

そんなとき、「決める」ということを他人に委ねてしまっていませんか?

 

 

私たちは、誰かの考えを受け入れ、従うことに慣れ過ぎています。

自分より「偉い」と思える人の意見をそのまま鵜呑みにして、行動する。

それこそが「依存」と呼ばれるものです。

それがひどくなると「洗脳」になります。

 

そして、自分より「偉い」人の教えは正しいものだ、真実だ、これしかない、ってなると、他を否定してしまう。

自分達は正しいのだ、あの人たちが、あの国家が、あの宗教が間違っている。だから正さなければならない。

それが正に宗教戦争です。

宗教戦争って、一神教の宗教が他を否定することによって巻き起こるんですよね。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の対立とか。

 

自分を正当化して、他者を正そうとしてもそんなのうまくいくはずがありません。

それこそ鏡を磨いているようなものです。

何百年も前からそんなことをやっているの、いいかげん気づきなさいよ!とも思うのですが…

日本って八百万の神の国だから、多様性を認め、受け入れ融合していく。

そこから新しい文化が生まれる、そんな国なんだと思います。

自分が正しい、自分の考えと違う意見の人は間違っているから、正さなくてはならない。そんな考えは一神教的思考。

これだけだくさんの人がいて、それぞれに違う思考をしているのだから、自分と一致する人がいる確率の方が低い。

だからみんな違うのがあたりまえ。

それぞれの意見を尊重しましょうってことになります。
たぶん、この多様性を受け入れることを難なくできる人が日本人には多いのではないかと思います。

相手の意見を尊重すれば、巡り巡って自分の意見も尊重される。

スピリチュアル好きな人にいちばん注意してほしいのが、一神教的視点。

誰かを教祖のように見立てて、その人言葉を妄信すること。
その人に自分の答えを見つけてもらおうとすること。

なるほど!これだ!と思える発信と出合ったときは、心踊るものです。

でも、そこで一歩引いて、いろんな方向から検証して、自分はどう感じるのか違和感はないのか、検証するクセを付けましょう。

どっぷりのめり込みすぎてしまうと、自分を見失いかねません。

きちんと自分で考えて行動する。

でないと、他人の人生を歩いていることになります。

 

先の見通し、未来の視界がはっきりと見渡せない今の時代。

だから誰かに頼りたくなる心細さ、不安は多かれ少なかれ誰にでもあります。

 

 

だからこそ自分で考えて、行動する。これにつきます。

大丈夫。あなたに必要なものはすべて持っていることに気づきましょう。

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