ブログ スピリチュアルスピ系心のつぶやき

自分を癒すことは、自分しかできない

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ヒーリング、癒しなどの言葉をよく耳にするようになって何年か経ちます。
スピリチュアルなことで使われるこの言葉、この行為について、わたしの思うことを。

結論から言うと。

自分を癒すことは、自分しかできない

人生、山あり谷あり

世の中には十人十色、人それぞれ、いろんな方がいらっしゃって、人の役に立つ、ヒーリングや癒しをお仕事とされている方も大勢いらっしゃいます。

ここ数年で、コーチングをされる方も急増しました。

コーチングというと、スピ系のかおりが薄れて、ビジネス色が強く感じられるのは私だけでしょうか。

その方たちを否定するものではないので、誤解されませんように。

 

人間なので生きていれば、楽しいことも、嬉しいことも、苦しいことも、辛いことも、自分ではどうしようもないことも起こります。一人の例外もなく。

楽しいこと、嬉しいことで人に頼ろうとはしませんが、苦しいこと、辛いことが起これば、神さまにも仏さまにも他人にもすがりたくなります。

家族には頼れない、相談できないことがあれば、お金を支払ってでも他人に聞いてもらい、解決の道筋を見つけたりすることもあると思います。

 

そういうときにたどり着くのが、ヒーラーさんだったりするわけですが。

リュックの荷物、他の人では下せないよ

背負った自分の荷物は自分しか降ろすことはできませんよね?

この寓話わかりやすいので、読んでください!↓

なぜ自分を癒すと人生が変わるのか、よくわかる寓話。
あなた自身が薄々気づいている(または気づ...

 

ヒーラーやコーチが手助けしてくれても、自分で降ろす作業をしなければ、元の木阿弥。

彼らは、その重い(=思い)荷物があることを気付かせてくれただけ。

そこから先は、自分しかできない作業。それに気づくかどうかで道は分かれていくのでしょう。

 

自分を内観していくことでも重い荷物に気付きますが、長年培ってきた自分の癖でなかなか見破れないものも多い。

そういうときのお助けマンこそ、客観的に判断できるヒーラーやコーチなのです。

 

自分の人生だもん、手綱は自分で握らなきゃ

他人にコントロールされているのが楽な人も一定数は存在するし、その人にとってはそれが幸せなんだろう、と思うこともあります。

 

でも、他人に手綱を渡したせいで起こる悲劇がDVだったりするわけで。

 

やっぱり人としてこの世に生を受けた以上、一人一人にそれぞれ、自分を生きる、という何物にも代えがたい唯一の天命があるんですよね。

 

だから、手綱は自分で握る。ヒーラーやコーチに渡さない。

みんな自分を経験するために生きている

自分の足で立って、自分の歩幅で歩けばいい。速度を速めても、ゆっくり歩いても自分の自由。急いで先に進みたければ、そういう人と仲間になって並走すればいい。道草食っても誰も文句は言いません。

 

自由に歩くこと、これはわがままということではないのであしからず。

 

話がずれてきました…

背中の重い荷物を降ろす作業=自分を癒すこと

自分でやるしかないのです。自分自身を見直す作業は辛くなることも多いし、自己批判や自己憐憫に陥ったりもします。

自分を批判せず、人と比べず、というのは難しいかもしれないけれど。

 

辛くなったら、ここまで本当によく頑張ってきたって誉めてあげて。

行商人の背中のようにたくさんたくさん背負っている荷物を降ろして、身軽に、爽快にいきましょう。

 

自分を癒すことは、自分を知ることでもあるのです。

自分を知れば、生きる軸もブレなくなります。

あなたが力強く自分の足で一歩一歩踏み出せますように。

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