自己啓発 浄化神事神社

六根清浄とは?

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子どもの頃、身近にご神託を降ろす方がいらっしゃいました。

ひと昔前はそのような方が今で言う、経営コンサルタントのような立場だったのでしょう。
国政に関わる重要事項の決定にも一役買っていましたし。一般の人が知らないだけで、今でもそのような関わりは途絶えていないのです。

わたしの家は家族で事業を営んでいたので、神託を降ろすその方は、当然のようにうちの専属コンサルでした。

一日と十五日には家の周りを塩とお酒で清めたり、遠くの神社にお参りしたり。

神社にお参りする参道で、必ず唱える祝詞があります。それが六根清浄。

小さな子どもでは、難しい言葉は理解できず、参道を歩きながら、ひたすら「六根清浄、六根清浄、…」とつぶやきます。

思春期に入り、神様やスピリチュアルなことにほとんど関心がなく、毛嫌いするまでになり、もう何年もの間忘れてしまっていました。

先日、日本の神様図鑑 を執筆された大塚和彦氏のお話をお聴きする機会があり、六根清浄の大祓のお話が少しだけ話題にあがりました。  

家に帰ってから、お話会でメモしたノートを眺めつつ、昔を懐かしく思い出し、六根清浄の大祓をネットで検索してみると…

驚くことに、わたしが常々、そのように生きなさい、と言われている生き方が書かれているではありませんか!

六根とは、目、耳、鼻、口、身、意(こころ=顕在意識、想念)
この六根が清浄であれば「願い事は全てかなう」と。

 

以下、六根清浄の大祓全文と超訳です。

六根清浄の大祓

あまてらしますすめおおがみの のたまわく
天照皇太神の   宣はく

ひとはすなわち あめがしたの みたまものなり
人は則ち  天下の  神物なり

すべからくしづまることをつかさどる こころは すなわち かみとかみとの もとのあるじたり
須らく掌る静謐心は 則 神明の 本主たり

わがたましいを いたましることなかれ このゆえに
心神を 傷ましむること莫れ 是の故に

めにもろもろの ふじょうをみて こころにもろもろの ふじょうをみず
目に諸の 不浄を見て 心に諸の 不浄を見ず

みみにもろもろの ふじょうをききて こころにもろもろの ふじょうをきかず
耳に諸の 不浄を聞きて 心に諸の 不浄を聞かず

はなにもろもろの ふじょうをかぎて こころにもろもろの ふじょうをかがず
鼻に諸の 不浄を嗅ぎて 心に諸の 不浄を嗅がず

くちにもろもろの ふじょうをいいて こころにもろもろの ふじょうをいわず 
口に諸の 不浄を言いて 心に諸の 不浄を言わず

みにもろもろの ふじょうをふれて こころにもろもろの ふじょうをふれず
身に諸の 不浄を触れて 心に諸の 不浄を触れず

こころにもろもろの ふじょうをおもひて こころにもろもろの ふじょうをおもはず
意に諸の 不浄を思ひて 心に諸の 不浄を想はず

このときに きよく いさぎよき ことあり
此の時に 清く 潔き 偈あり

もろもろののりは かげとかたちのごとし きよくきよければ
諸の法は 影と像の如し 清く潔ければ

かりにもけがるることなし ことをとらば うべからず
仮にも穢るること無し 説を取らば 得べからず

みなはなよりぞこのみとはなる わがみはすなわち
皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち

ろくこんしょうじょうなり
六根清浄なり 

ろくこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうのしんくんあんねいなり
六根清浄なるが故に 五臓の神君安寧なり 

ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり 
五臓の神君安寧なるが故に 天地の神と同根なり

てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり
天地の神と同根なるが故に 万物の霊と同体なり 

ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに
万物の霊と同体なるが故に

なすところのねがいとして じょうじゅせずということなし
為す所の願いとして 成就せずといふことなし

むじょうれいほう しんどうかじ
無上霊宝 神道加持

超訳 六根清浄の大祓

アマテラスオオミカミが仰いました。

人は地上世界にいる神様の依り代です。

人が地上世界を穏やかに平和にしようとする意思は、神様の意思です。
わたし達は神様の依り代ですから、自身の神様を傷つけないようにしましょう。

目に様々な罪・けがれを見ても、感情移入して囚われてはいけない。
耳に様々な罪・けがれが聞こえても、感情移入して囚われてはいけない。
鼻に様々な罪・けがれが臭っても、感情移入して囚われてはいけない。
口で様々な罪・けがれを言っても、感情移入して囚われてはいけない。
体に様々な罪・けがれが触れても、感情移入して囚われてはいけない。
想念に様々な罪・けがれに気付いても、それに囚われてはいけない。


あなたの内側から清らかさや潔さは現れます。

世の現実は影やイメージのようなもので実体がないのです。
だから清く潔くいれば、万一にもけがれることはありません。

理屈で考えても納得できませんよ。

わたし達は、美しい花のような存在として生を受けました。


だからわたし達の身体も六根清浄。
目、耳、鼻、口、体、想念という六つの感覚機能はもともと清浄なのです。

六根清浄だから、心身は機能するのです。
心身が機能するということは、天地の神様と同じ。
天地の神様と同じであれば、全ての存在の霊(みたま)、宇宙と同じ。
全ての存在の霊、宇宙と同じということは、叶わない願いごとはないのです。

汚いもの、苦しいもの、辛いものから、目を背けず、かと言って心は囚われず。
この世には、無駄なものはない。
無駄な使い方をしてるだけ。すべてのものは自然に帰して、エネルギー変換し、循環する。

 

日本人は古来の生き方を思い出し、実践すればただそれだけでいい。

スピリチュアルと軽々しく呼ぶにはおこがましいくらい、神道そのものが時空を超えた人の在り方なんですね。

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