つれづれ 心のつぶやき

自己否定とゴミ問題

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「燃えないゴミ」を捨てるのに罪悪感がある

という内容の投稿をFBで目にしました。

Plastic Plastic Cup Leaves  - Filmbetrachter / Pixabay

私も長年同じように思っていました。

なぜなら、
埋め立て地に使われるか、産業廃棄物のようになるか。
燃えないゴミの処分先はないから。

 

似たようなことで、
ネガティブだったり、不要になったエネルギーを浄化した後、そのネガティブなエネルギーはどこに行く?
ってずっと考えていたこともあります。

 

心の中でずっと
人間なんて、地球にいるだけで迷惑をかけている。
地球を汚している。


ゴミも、不要なエネルギーも地球にぜんぶポイ捨てしてる、地球に悪いことをしている、とずっと後ろめたい気持ちで。

地球さん、ごめんなさい。って
呪文といってもいいくらい、あやまってました。

 

できるだけプラスチック製品はきれいに洗い、乾燥させてリサイクルへ。

どうしてもきれいにできないもの、プラスチック以外の割れたお皿やコップ、缶として出せない金属類などをやむなく燃えないゴミとして。

 

そんな風に考えない人、捨てることに罪悪感を持たない周りの人に対して、勝手にイラッとしてたり、環境のこともっと考えなさいよと思ってみたり。

ここまで書いて、お題「自己否定」とつながるのか、不思議に思われてる方もいらっしゃるはず。

わたし達の根底にある自己否定、この地球を汚しているってことに紐づいていると気付いたんです。

ゴミもエネルギーもいっぱい捨てて、この地球に迷惑をかけている、不要な存在。
それが人間であるわたし達だ、という植え付けられた固定概念。
人間は地球にいない方がいいんじゃないか。その方が地球は楽になるはずだ、と。

 

よくよく考えてみると、この宇宙に存在しない方がいいものなんてないんですよね。

わたし達すべての存在が、ここに在る、いるべくしているのです。
ここに必要な存在。

地球の使命の一つは「リサイクル」だと聞いたことがあります。

地球は喜んでリサイクルを引き受けてくれている。
ゴミも、エネルギーも。

だからと言って、何も考えずにゴミ出ししたり、ポイ捨てしたりというのは違うんじゃないかと思いますが。

ゴミを捨てるのに罪悪感は持たなくてもいいよ、思慮分別ある人のものは喜んでリサイクルするよ。って言ってるんじゃないかな。

 

そして、地球の成長のためには、わたし達人類も必要な存在。
ここにいない方がいい人なんて、一人もいない。
みんなここにいていいからいる。だれ一人例外なく。
みんなここにいる価値がある。

人類は地球に迷惑をかけているから、いない方がいいんじゃなくて。
迷惑なんかじゃないから、もっともっと自分を思い出してここでしか味わえない、この生活を楽しもう!
もっともっと自分を認めて、自己否定をぬけだそう!
って暮らすことを選択した方が地球も喜ぶよ、きっと。

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