つれづれ 心のつぶやき

十人十色。10人いれば、10人それぞれの正しさがある

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わたしは主人の携帯電話を洗濯物といっしょに洗濯機で洗ったことがあります。
主人の作業服に入っていた釘も洗濯物と一緒に洗って、洗濯機を壊したこともあります。

わたしはズボラなので、よほどのことがない限り洗濯物を分別しません。
きちんとした人は洗濯物を分別して、ポケットを確認するのが当たり前なのかもしれませんが。

あなたはどうですか?

先日、誹謗中傷が原因で亡くなられた方がいらっしゃるのは、多くの方がご存知だと思います。

顔の見えないネットでの誹謗中傷は鋭い刃物と同等であり、顔が見えないだけにマナーは守るべきです。リアルであろうと、ネット上であろうと、人としてのあり方は同じ。

 

一般的な世論と同じく、始めは、その誹謗中傷を浴びせた側に憤りを感じました。多くの人の抑圧された感情が出口を見つけて、噴出したようにも感じました。

誹謗中傷した人達をたたくのは簡単なことですが、それだけじゃない、と何か心の中にもやもやとするものがありました。

 

その後、どういう状態で誹謗中傷が始まったのか、番組撮影はどのような指示がされていたのか、視聴者が喜ぶように何か操作されていなかったのか、ということについて流れてきたニュースを目にしました。

 

痛ましい事件には変わりありませんが、記事を見て思ったことは、ものごとは一方から判断してはならない、ということ。

 

冒頭で書いたことに似たような、洗濯物に関するトラブルが事件の発端だったようです。

携帯電話を洗濯してしまい、きつい言葉を言われたとしたら、どうしただろうか?逆の立場だったら、どうしてた?といろんなシチュエーションを想定してみました。

そこでわかったこと。わたしはこの番組を見ていたら、たぶん誹謗中傷を浴びせた側を応援する立場に立っていただろうということ。直接本人を非難することはしませんが、少なからず心の中ではそう思っていたと思います。

問題はそれだけではなく。
視聴者にインパクトを与える、そのような番組を作らなければならない製作者。
インパクトを与える番組を好んで視聴する人々。

 

どこかで何かが犠牲になる構図が出来上がっていたように思います。

今の日本では、大なり小なりこのようなことが起こる種が至る所にまかれています。

 

いろいろな方面からものごとを見るようにすると、いろいろなことが浮かび上がってきて、いろんなとらえ方ができます。

自分の考えだけが正しいわけではないということ。これから自分はどうあるべきか考えさせられる出来事です。

 

集団で個を叩く不幸なことが起こらないよう、それに加担することがないよう、きちんと内省しようと思いました。

 

最後になりましたが、お亡くなりになった方のご冥福を心からお祈りいたします。

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