twitterで目にした投稿。
仕事でゴミ屋敷の住人と関わるようになって3年以上かかってゴミを捨てない理由をやっと聞き出せた。正しい分別がわからなくて、ゴミ置き場に捨てた時に近所の人に何度も怒鳴られて、怖くて外に出せなくなったって。ゴミの山の隙間でポツリポツリと話すのを聞いてから、正しさについてずっと考えてる。
— まめそま (@mamesoma) November 26, 2019
10万件以上のいいね!がついていて、多くの方がコメントされています。
今の世の中を凝縮しているような気がしてならないのです。
- ゴミの分別が細かすぎて、これ、燃えるごみ?資源ごみ?燃やせないごみ?と思うことあります
- 分別をきちんとしないでゴミを出す人には注意したくなる気持ちもわかる
- 分別しないでゴミ出しする人に対し、無意識のうちにマウンティングして、怒りの矛先を向けてしまうのもあるかも
- 怒られて、怒鳴られて、ゴミ出しが怖くなる、というのもわかる
- 本心を聴きだすのに3年間もかかる、大変な作業
他にもいろいろと心に浮かぶモヤモヤがあると思います。
わたし達は、
近所の怒鳴り散らす人にもなり得るし、
怖くてゴミを出せない人にもなり得るし、
根気よく相手を心の奥の原因を探る人にもなり得る
この投稿の登場人物の誰にでもなる可能性があります。
twitterのコメント欄では、「怒鳴り散らすご近所さん、正義を振りかざしてひどい。」という意見が多いようです。
話は少し変わりますが、
薬物で逮捕された著名人のニュースや情報。
そこでの取り上げられ方を見ていても、みんなこの怒鳴り散らす近所の人になってるんじゃないかな、と思うのです。
心の中の弱い部分、闇の部分があるから、いけないと思っていても手を出してしまう。
誰もまわりに信頼して頼れる人がいない、とか。何らかの原因が必ずあるはず。
怒る人
自分以外の人も自分と同じように完璧に分別できて当たり前と思ってるかもしれない。
その正義感もわからなくもない。
ワイドショーなどをみていると、気付かないうちにきっと怒る人になってしまう気がする。
きちんと分別できない人
この複雑すぎるゴミ分別、理解できなくても仕方ないとも思う。
怒鳴られて、ゴミ出しに行きたくなくなる気持ちもよくわかる。
自分自身のことを理解できていたら、こんな状況にはなっていないかもしれない。
自分をさらけ出すことができる人が近くにいると、きっと違ったはず。
投稿者
すごいな、と思ったのは、3年もかかって本心を聞きだした、投稿者ご本人。
わたしだったら、途中で匙を投げていたと思います。
しかも、ゴミ屋敷に住む人=だらしない人 という先入観を今まで持っていましたから。
この投稿者のような目線を持てるようにできたらいいな、と思います。
どうしたら、うまくいくのだろう?と考えたとき、
このゴミ問題に関しては、
ただただ、いろんな過剰包装やめようよ、ということにたどり着くのです。
ここまで行くと、行き過ぎだ、と思う内容もあって、面白い↓
レジ袋だけじゃなくて、包装も何もかも。
ほんとうに必要なものに、必要なだけ、に切り替えていきたいものです。
そして、多様性を認める懐の深い人でありたいなぁ。
ゴミの話ついでに。
目に見えない心のゴミもどんどん廃棄処分しましょう。
分別不要、自分で気付いたら、「これ、いらん」と宣言するだけ。
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