今日はリーディングで出てきたものをいろいろ調べた忘備録。
ヨーロッパ、中世~ルネッサンス あたりの医薬(特にお薬)のことについてです。
ローマ帝国崩壊後のヨーロッパではキリスト教が勢力を持ち、今の日本では考えられないほど社会への影響力はとても大きかったのです。
ギリシャから続く、ローマ帝国時代の様々な知識の多くは修道院に保管され、その結果、宗教と科学が一緒になります。
医学知識は、多くの修道院施設で保存・実施され、これらの施設にはしばしば病院が併設されていた。また、医学知識を代々伝承し、地域的な民間療法が行われた。
ウィキペディア(Wikipedia)医学史より
人の生死に接することも多いからだと思いますが、宗教と医療は洋の東西を問わず密接に関わっていますね。宗教と医療を制したら、もう怖れるものは何もないかも。
医学が発達していない頃のヨーロッパの修道院は現代の病院でもあり、薬局でもありました。
そして、大がかりではないにしても、作った薬の配合テスト、臨床実験も行われていたのでしょう。
当時、修道院に併設されている薬局はかなりの数あったのかもしれません。
現存するもので有名なのはイタリア、フィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ薬局。日本にもお店があり、商品を購入することができます。
ルネッサンス期フィレンツェを支配したメディチ家も元々は薬の商売で財をなしたお薬屋さんです。家名の由来もメディスン…医学、薬。そして家紋にも薬の玉。
今回リーディングで登場したのが、クロアチアのドゥブロヴニクにある、フランシスコ会修道院のマラ・ブラーチャ薬局。この薬局も世界で3番目に古いと言われているそうです。
クロアチアのドゥブロヴニクは中世の頃はラグーサ共和国と言われ、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられていたとか。
フランシスコ会という名前が付くからには、アッシジの聖フランチェスコの存命後、しばらくしてからの設立ではないかと思います。
中世ヨーロッパの街らしく、ドゥブロヴニクも城壁に囲まれています。
当初、この薬局と修道院は城壁の外にあったそうですが、城壁の中に引越しして以来、現在も城壁内の旧市街に。連日、日本人観光客で賑わっているとか。
話を昔に戻して…
残念なことに、この地域は1667年4月、大きな地震に見舞われ、その際の火事で貴重な資料のほとんどを焼失してしまいます。
頼るは修道士、修道女の記憶のみ。
現在に続くレシピは、その時再現され、保管されたものです。
リーディングしたのは、城壁の外に教会が置かれていたときのことだろうと思います。
教会の背後には大きな森が広がっていて、そこには様々な薬草がありました。薬草を見分けるのも大事な仕事の一つ。
外の世界との接触をあまり許されない環境に置かれている修道女たちは、森に薬草を摘みに行くのをとても楽しみにしていました。唯一解放的になれる場所だったのかもしれません。
持ち帰った薬草は、大きな窯や薬を作る道具が並んだ天井の高い広い部屋へ。薬を作っている部屋でしょう。
そこで作った薬は、身体を悪くした方々へ。ほとんど無償に近い状態で処方されていたようです。
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